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息子も学士さんです。 [日記]

残念ながら卒業式には行けませんでしたが、無事卒業したようです。
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保険医協会の総会で高田社長とご一緒しました [日記]

保険医協会の総会で高田社長がお話しをされました。記念に写真を撮らせてもらいました。
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セルフカット [日記]

床屋は何時もセルフです。スキカルバサミで適当に切ります。後ろなんか見たことありません。
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退院しました [日記]

2週間入院していた病室です。退院の日に記念にとりました。自宅で1週間療養した後、仕事に復帰しました。術後3週間です。術後1ケ月で脱腸を執刀しました。少し腰がなえました。
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タグ:退院
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冠動脈バイパス術2 [日記]

 術後3日で重症部屋へ戻り、胸腔ドレーンと心嚢ドレーン皮下ドレーン計4本を抜いてもらった。ドレーンの後は、ホッチキスで塞ぐので、これがとても痛い。この時は6本止められた。勿論麻酔なし。首の点滴も縫い付けてあったが、これは、あっさり抜けた。思ってもいなかったのが導尿バルーンの痛さだった。3日も入れておくとバルーンが縮まない。皺皺のまま出てくるのである。尿道を通る時の痛さは半端ではなかった。抜いてくれた看護婦曰く「男性は痛いそうですね」そう、女にはわかるまい。
 これですっきりとなり、左手に1本点滴を残し、一般病棟へ戻ったのだ。その前にひと悶着。婦長とやらがやって来て、「個室はAにしますか?」と盛んに進める。詳しくは聞かなかったが、どうもソファーがあるらしい。「宴会するわけじゃなし、Bで良いです」でちょん。後でのぞきに行ったら、Bより1.5倍くらいひろくて、1人掛けのソファーが2つ置いてあり、大きなテレビと2ドアの冷蔵庫が置いてあった。いらぬ見栄は張らなくて良い。
 だんだん元気になると、看護婦も相手にしてくれなくなる。胸の痛みも軽くなり、リハビリ室で自転車をこいだり、自分で動いて早く元に戻りなさいということか。
 今は、酸素飽和度が今一上がらないこと。クレアチニンが高めであることが、病気のなごりかな。術後15日にて退院すことになった。
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冠動脈バイパス術を受けた [日記]

 昨年暮れより、屋内の自転車こぎが、きつくなってしまった。10分もこぐと、胸苦しくなりペースダウン。30分こげなくて早々におりることがおおくなった。少し暖かくなった3月に時津荘登りを再開したが、七工区の坂で胸痛、海岸線の平たん路でも回復せず。我慢して時津荘の坂を超えたが、4~5日ガンバってみたものの、これは冬場に怠けたせいではない。心臓に何か起こっていると実感し、その後は平たん路でごまかしていたが、これも途中できつくなり、覚悟を決めた。15年前の右冠動脈のステントを入れてくれた主治医は冠動脈から手を引いてしまって、虹が丘病院を勧めてくれた。4月12日午後より受診、さっそくCT検査を受けた。造影剤を注入する其の瞬間、は熱湯風呂に落とされ感じだ。ま、一瞬だが。その検査の結果、 左主幹部に99%、8番あたりの80%狭窄、さらに回旋枝の狭窄を指摘された。主幹部は大きな不安定なアテロームがあり、ステントを入れると粥状物が一気に流れだし冠動脈を詰めてしまう恐れがあり、ステントは危険であると説明を受けた。あとは冠動脈バイパスしかない。さっそく救急車で大学病院へおくられた次第だ。心臓血管外科のE教授は臨床的に指導を受けた間柄ではなかったのだが、マリーナで知り合っていたのだ。「やっと私のところへきましたね」旧知の友達のように接してくれた。医局員が気をもむ中、再び病室へやってきて「手術は、明日(4月20日)」と宣言して、唖然とする医局員たちをしり目に去って行った。冠動脈の状態が悪かったのが本当の理由かもしれない。スタッフともどもあわてて準備をし、次の日、手術場に入ったわけだ。後は覚えていない。ICUに移されて、誰かが足元で、「うまくいったよ」と声かけられたのをかすかに覚えていた。女房に言わせると、私はちゃんと受け答えしたそうだ。まだ、気管チューブは入っていたそうだが。ICUに2晩、実ににぎやかな部屋だった。夜に大工仕事?隣は1晩中吸引で、がーがー。こちらは身動きできない状態で、胸の痛みに耐え、空腹に耐え2晩を過ごした。痛み止めは定期的に入れてくれていたようだが、咳をするととてもつらかった。食事はICUでは出なかった。よしんば出たとしても大便が出たらベットの上で差し込み便器なのだ。使う気にならないでしょう。4月22日の午前中に10F病棟の重症室に戻ってきた。個室だ。落ち着くね。昼から待望のご飯も出た。お粥だけど久しぶりにうまかった。お世話してくれたのは、看護師のお兄さん。横浜出身で、親を見るため長崎来たそうで、殊勝な堅物ですかね。実によく働く。私の状態は点滴が首に固定され、ドレーンが5本。そのうち3本は定圧持続吸引で、壁に繋がっていて、膀胱にルーンが入っている状態。11食も絶食した挙句食べた食事で腸がびっくりして催してしまった。一度は看護師さんに手伝ってもらって、便所に行ったが、2度目は遠慮して自分一人で行ってみた。巡視に来た看護師さんに惨状を咎められ、「一人でやっちゃだめですよ。首の点滴が抜けかけています」とおどされた。実は首の点滴は縫い付けてあったのだが。私だけかな?どうも男の看護師さんに便所についてきてもらうのは、抵抗があったのだ。やっぱり看護婦がいい。 
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平成29年に済ませたこと、できなかったこと [日記]

  屋根のペンキ塗り。一応塗ってしまいました。雨に降られてペンキが流れたこともありましたが、何とか全部塗りました。3回ほど滑り、ひやりとしましたが、命綱で助かりました。ただ、雨どいの塗装がまだです。
 ほぐし織りの帯を織ってしまいました。仕上げがわかりませんでしたが、従妹に頼んでプロに仕立ててもらいました。立派にできましたが、さて誰に絞めてもらおうか。
 クルーザーの水タンクの量水計を取り付けました。メーターは何年も前に手に入れていたのですがステンレスタンクに穴を開けきれずにいました。ドリルを見つけて4cmほどの穴を開けました。
 ソファーを買いなおしました。新しく買ったのですが通信販売の悲しさです。本革は良かったのですが、座り心地がいまいち。古いソファーは骨組みして、ベンチに作り変えました。
 自転車は、夏に阿蘇高森を走りました。11月には親子3人で直方・飯塚自転車道、ゆうか自転車を走りました。直方自転車道が完成していないのは残念でした。アクションカメラで撮影しDVDを作りました。本人は写っていません。ほとんど道と空です。植木におりる道は直也が先を走りましたので、彼は写っています。
 プレステージの傷の修理が不完全です。
 炭所へもいけませんでした。土器川自転車は完備していないようです。
病院のLED化はCT室と手術室、院長室を残すのみとなりました。
今年は、雨どいのペンキ塗り白壁のペンキ塗りがまだです。しまなみ往復再挑戦、機織り小屋の増築、県展入選など目標にします。ただ左ひざの痛みが気になります。自転車をこぐのは痛くないのですが、しゃがむと痛い。レントゲンで棘が出来ていました。

タグ:反省と目標
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娘の新築祝いに呼ばれました [日記]

 太陽光発電、バッテリーと理想的なハイテク住宅でした。停電しても生きて行けそうです。だんだん理想に、近づいてきましたね。私も、もう1軒建てたい。
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血管年齢 [日記]

 自転車を始めて1年ほどたちます。そろそろ血管年齢が若返っているのでは期待して計ってみました。1年前は相当硬い結果で、しばらく図りたくないとABI(計測器の名前)から遠ざかっていましたが、運動の効果が出ているのではないかと、意を決して計りました。結果は、期待以上、血管年齢でいえば5~6歳若返っていました。もっとも、相当高齢の結果が出ていたのですが、このまま頑張って、このグラフの年齢に入る努力をします。
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タグ:血管年齢
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 [日記]

これから台風が、来ると言うのに朝から大きな虹が出ていました。長崎に当たる確率は56%だそうです。やっぱり来てほしくない。
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