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冠動脈バイパス術を受けた [日記]

 昨年暮れより、屋内の自転車こぎが、きつくなってしまった。10分もこぐと、胸苦しくなりペースダウン。30分こげなくて早々におりることがおおくなった。少し暖かくなった3月に時津荘登りを再開したが、七工区の坂で胸痛、海岸線の平たん路でも回復せず。我慢して時津荘の坂を超えたが、4~5日ガンバってみたものの、これは冬場に怠けたせいではない。心臓に何か起こっていると実感し、その後は平たん路でごまかしていたが、これも途中できつくなり、覚悟を決めた。15年前の右冠動脈のステントを入れてくれた主治医は冠動脈から手を引いてしまって、虹が丘病院を勧めてくれた。4月12日午後より受診、さっそくCT検査を受けた。造影剤を注入する其の瞬間、は熱湯風呂に落とされ感じだ。ま、一瞬だが。その検査の結果、 左主幹部に99%、8番あたりの80%狭窄、さらに回旋枝の狭窄を指摘された。主幹部は大きな不安定なアテロームがあり、ステントを入れると粥状物が一気に流れだし冠動脈を詰めてしまう恐れがあり、ステントは危険であると説明を受けた。あとは冠動脈バイパスしかない。さっそく救急車で大学病院へおくられた次第だ。心臓血管外科のE教授は臨床的に指導を受けた間柄ではなかったのだが、マリーナで知り合っていたのだ。「やっと私のところへきましたね」旧知の友達のように接してくれた。医局員が気をもむ中、再び病室へやってきて「手術は、明日(4月20日)」と宣言して、唖然とする医局員たちをしり目に去って行った。冠動脈の状態が悪かったのが本当の理由かもしれない。スタッフともどもあわてて準備をし、次の日、手術場に入ったわけだ。後は覚えていない。ICUに移されて、誰かが足元で、「うまくいったよ」と声かけられたのをかすかに覚えていた。女房に言わせると、私はちゃんと受け答えしたそうだ。まだ、気管チューブは入っていたそうだが。ICUに2晩、実ににぎやかな部屋だった。夜に大工仕事?隣は1晩中吸引で、がーがー。こちらは身動きできない状態で、胸の痛みに耐え、空腹に耐え2晩を過ごした。痛み止めは定期的に入れてくれていたようだが、咳をするととてもつらかった。食事はICUでは出なかった。よしんば出たとしても大便が出たらベットの上で差し込み便器なのだ。使う気にならないでしょう。4月22日の午前中に10F病棟の重症室に戻ってきた。個室だ。落ち着くね。昼から待望のご飯も出た。お粥だけど久しぶりにうまかった。お世話してくれたのは、看護師のお兄さん。横浜出身で、親を見るため長崎来たそうで、殊勝な堅物ですかね。実によく働く。私の状態は点滴が首に固定され、ドレーンが5本。そのうち3本は定圧持続吸引で、壁に繋がっていて、膀胱にルーンが入っている状態。11食も絶食した挙句食べた食事で腸がびっくりして催してしまった。一度は看護師さんに手伝ってもらって、便所に行ったが、2度目は遠慮して自分一人で行ってみた。巡視に来た看護師さんに惨状を咎められ、「一人でやっちゃだめですよ。首の点滴が抜けかけています」とおどされた。実は首の点滴は縫い付けてあったのだが。私だけかな?どうも男の看護師さんに便所についてきてもらうのは、抵抗があったのだ。やっぱり看護婦がいい。 
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