大腸内視鏡を受けました [日記]
お腹の調子がだんだん悪くなりとうとう食事が入らなくなりました。腹がパンパンに張り何も食べたくなくなりました。レントゲンでS字結腸に゙多量のガスが溜まっていました。グリセリン浣腸でなんとか腹の゙は取れましたが腸に何かできているのか心配になりました。
大腸内視鏡は、少々敷居が高くできることならばと避けたかったのですが、今回ばかりは、覚悟を決めました。前日の多量の下剤、当日のニフレックという2リッターの下剤攻め。お腹の中はすっかり空っぽになりました。
いよいよ検査が始まりましたが鎮静剤が全く効きません。モニターを食い入るように監視していました。助手のお腹を押さえる処置が辛かった。そうこうしている内に盲腸まで入りホボ異常なしの診断を得ました。感謝感謝!
古い映写機を修理しました [日記]
未だポータブルビデオカメラがなかった頃8ミリが流行っていました。フィルム一本で3分しか撮れず、しかも現像に出す必要がありました。短編アニメも作りましたが現像から帰って来たらピンボケでがっかりしたこともありました。昔のフィルムを見たくなり倉庫からひっぱり出したら、壊れていました。映写機には弱点があリ前にも修理したことがありました。同じ所です。ベルトが切れるのです…再度挑戦しますがなかなか上手く行きません。今の所動きそうです。ビデオに移しましょう。
九死に一生を得た話 ⑤ [日記]
これですっきりとなり、左手に1本点滴を残し、一般病棟へ戻りました。その前にひと悶着。婦長さんがやって来て「個室はAにしますか?」と盛んに勧めるのです。詳しくは聞かなかったんですが、個室Aはどうもソファーがあるらしい。「宴会するわけじゃなし、Bで良いです」。後でのぞきに行ったら、Bより1.5倍くらい広くて、1人掛けのソファーが2つ置いてあり、大きなテレビと2ドアの冷蔵庫が置いてありました。いらぬ見栄は張らなくて良い。
だんだん元気になると、看護婦さんたちも相手にしてくれなくなりました。胸の痛みも軽くなり、リハビリ室で自転車をこいだり、自分で動くことで早く元に戻りなさいということかでしょうか。酸素飽和度が今ひとつ上がらないこと、クレアチニンが高めであることが少し気がかりでしたが、主治医たちは気に留めることもなく、術後の冠動脈CTを強行し、5月4日無事に退院しました。
術後半年間は、おとなしくしていましたが、もう良いだろうと再び自転車を始めました。手術1年後には「しまなみ海道」76kmを息子と二人で完走、現在は、時津荘越えを再開し毎日頑張っています。
E教授をはじめスタッフの先生、看護師さんその他大勢の方にお世話になり元気になりました。遅まきながらここでお礼を申し上げます。これは正に「九死に一生を得る」でしょう。これ程の事は2度と起こっては欲しくはありません。もうしばらく元気でいるために努力したいと思います。
だんだん元気になると、看護婦さんたちも相手にしてくれなくなりました。胸の痛みも軽くなり、リハビリ室で自転車をこいだり、自分で動くことで早く元に戻りなさいということかでしょうか。酸素飽和度が今ひとつ上がらないこと、クレアチニンが高めであることが少し気がかりでしたが、主治医たちは気に留めることもなく、術後の冠動脈CTを強行し、5月4日無事に退院しました。
術後半年間は、おとなしくしていましたが、もう良いだろうと再び自転車を始めました。手術1年後には「しまなみ海道」76kmを息子と二人で完走、現在は、時津荘越えを再開し毎日頑張っています。
E教授をはじめスタッフの先生、看護師さんその他大勢の方にお世話になり元気になりました。遅まきながらここでお礼を申し上げます。これは正に「九死に一生を得る」でしょう。これ程の事は2度と起こっては欲しくはありません。もうしばらく元気でいるために努力したいと思います。
タグ:退院
九死に一生を得た話 ④ [日記]
個室で落ち着けました。そして昼から待望のご飯も出ました。お粥だけど久しぶりに美味かった。お世話してくれたのは、看護師のお兄さん。横浜出身で、親を見るために長崎に来たそうで、実によく働きます。その頃の私の状態は、点滴が首に固定され、ドレーンが5本、そのうち3本は定圧持続吸引で、壁に繋がっていて、膀胱にルーンが入っている状態です。3日間も絶食した挙句食べた食事で腸がびっくりしたのか催してしまいまた。一度は看護師さんに手伝ってもらってトイレに行きましたが、2度目は遠慮して自分一人で行ってみました。巡視に来た看護師さんに惨状を咎められ、「一人でやっちゃだめですよ。首の点滴が抜けかけています」と叱られました。実は首の点滴は縫い付けてあったので抜けずに済みましたが、私だけかな?どうも男性看護師にトイレについてきてもらうのは抵抗があったのです。次の日、胸腔ドレーンと心嚢ドレーン皮下ドレーン計4本を抜いてもらいました。ドレーンの痕はホッチキスで塞ぐので、これがとても痛かった。この時は6本も止められました。勿論麻酔なしで。首の点滴も縫い付けてありましたが、これはあっさり抜けました。思ってもいなかったのが導尿バルーンの痛さでした。3日も入れておくとバルーンが縮まないのか皺皺のまま出て来たのです。尿道を通る時の痛さは半端ではなかった。抜いてくれた看護婦さん曰く「男性は痛いそうですね」いや、バルーンを完全に縮めないと女性でも痛いと思います。
タグ:回復室